カニ日記

息子の成長と日々の記録

逃げたら悪いか

子どもがいながらにして何のために働いているのか。育休後復帰してからずっと考えている。

第一は金銭のためである。それが7割ぐらい。金銭というのは子どもにかかるお金、家族の生活費、自分が楽しむお金、全部含まれる。サイにかかるお金と生活費、これは夫の給料だけでやりくりすることもできなくもないが、正直ぎりぎりで貯金はほとんどできなくなる。そうすると近い将来サイが「こうしたい、これをやりたい」と言ってそれがお金が原因で我慢させることになるのが辛い。できるだけ生きる選択肢を多く残してあげたい。それにぎりぎりの生活で、毎日もやしを食べて電卓を睨んで切り詰める事が私にはできない。一人暮らしの時はしていたが家族を持ってできなくなってしまった。我儘かもしれないが、ぎりぎりであらゆることを我慢すると精神的にきつくなり家庭全体が暗くなるのが目に見えている。また、私は好きなことや欲しいものが他人と比べて多いと自覚していて、自分で働いていないのに好きなものにお金を費やすのが嫌なので好きなものがこの世からなくならない限り働き続けなければいけない。残念ながらなくならない。美味しいパンやお菓子を食べたいし、好きな人のライブに行きたいし、可愛い服がほしいし、サイに絵本を買いたい。もちろんこれには様々な意見がある。いわゆる専業主婦の方も家事・子育てというそれより大変なことがないくらいの労働をしているのだから好きに遣えるお金を持って当然だと思う。ただ私自身、それを家族ではあるが他人である夫に与えられるのが耐えられず、自分で働いて得たお金を費やしたいというだけの問題。あくまで個人的な問題。

残り3割は何かというと、自分の居場所や属性の問題。お金に十分な余裕があれば仕事をすぐに辞めるかと問われると難しい。母親になってから、それだけが自分の名刺・居場所になるのが耐えられない(あくまで個人的な感情)。じゃあ子どもを持つなと言われそうだが、母親たるもの働くなという人に会う度、なぜ母親は母親と会社員という二つの名刺を持ってはいけないのか。父親はよいのに、といつも思う。サイがもちろん好きだけど四六時中サイといるのが辛い。それに反対する男性は今すぐ仕事を辞めて専業主夫になればよい。サイ自体の問題でなく、子どもと二人だけの閉じられた世界に居続けることで周囲から取り残されたような、母親である以外のお前はもういらないと言われているような気持ちになる。子どもとずっといるのが好きな人も苦痛でない人もいるだろうからあくまで私の気持ち。我儘というとそうかもしれないが私は何に対しても容量がすぐいっぱいになり溢れると対処しきれなくなるので、逃げ場がないと生きていけない。家庭からの逃げ場は仕事であり、仕事からの逃げ場が家庭になる。大森靖子さんもそのようなことを言われていた気がする。

だから私はサイが重い病にかかるなど避けられない要因や強制的に辞めさせられることがない限り、定年まで働き続けたいと思っている。今の仕事がベストかどうかはまた別の問題だが逃げられる場所がほしい。


以上、主張や意見などではなくあくまで個人的な気持ち。他の人は何を考えているのだろう。