カニ日記

息子の成長と日々の記録

高校生ごっこ

しばらく日記をつける気にならなかったが再開できた。いつの間にか、春が終わり夏が始まっていた。

 

6月5日(水)
貧血と夏バテ(早くも?)で視界がぼんやりしたままフラフラでお迎えに行く。冷蔵庫に水とビール、冷凍庫に冷凍ごはんがなかったことを思い出し、スーパーまで自転車を走らせる。スーパーの隣の活気のない寿司屋で巻き寿司を買ったあと、スーパーで水や明日の分の食糧を買ってずっしり重い。家に着いた時には疲れ切っていた。私が元気ないとサイは敏感に感じ取って機嫌を損ねる。
重い荷物を抱えて「ママね、具合悪いんだ」と言うと「え、なんで?なんとかしてよ!」と一層イライラされる。サイがいつも優しいことはわかっている。でも私が弱っていると不安になるらしく大抵不機嫌になる。あーだれか助けてくれーと思いながら、エレベーターのない小さなマンションの最上階までのぼる。慣れたけどやはりきつい。身体が汗でべたべたする。サイも暑そう。

二人とも最低のテンションで家に着き、サイはお腹が空いているようだったので海苔巻きを食べさせる。私は一刻も早く汗を流したかったので「ママお風呂はいってるね」と言って食べているサイを残して風呂場に行く。すると途中で機嫌を直したサイがやってきて、結局一緒に入る。「もうたべちゃったよ」と嬉しそうにしていた。ほっ。私は風呂上りにサイの残りのごはんの用意をしながらビールを一気に飲んだ。やっと疲れが少し取れた。だし巻きがうまくできたのでサイに「きれいにできたね」と褒められる。

食後の片づけをして、乾いた大量の洗濯物を畳んで引き出しにしまう。サイはその間リュウソウジャーのワークブックのシールを貼るページだけ喜んでやり、そのうち眠くなったらしく寝た。今日の洗濯物をベランダに干し終えたところで体力の限界。サイと二人暮らしするときに適当に買った中古の安い洗濯機で雨の日以外毎日洗濯している。洗濯なんて本当は大嫌い。フルタイム労働のワンオペ育児は過酷だが、助けてくれる人がいるわけではないので自分でやるしかない。寝る前に妹の誕生日を祝うのを忘れていたことを思い出し、適当な祝い方でごめん、と思いながらラインする。


6月6日(木)
6月6日に雨ざあざあ降ってきて~という絵描き歌があるがよく晴れていて日差しがきつい。梅雨はいつくるのだろうか。

サイは最近保育園から帰る時、自転車に乗らずに歩いて帰りたがる。それはお迎えの時間が重なった同じクラスの他の子達と一緒に歩きたいからで、彼ら彼女らは横一列に手をつないだり縦に並んだりして、坂道をけらけら笑いながら嬉しそうに下って行く。そして坂の途中にある小さな鳥居に必ず立ち寄って一人一人参拝する。意味をわかっているのかいないのか、順番に鐘を鳴らし手を叩いてお辞儀をする。それが楽しくて仕方ないという風に。親たちはそんな光景を今日もまた…と眺めつつ横に自転車を停めて無言で待っている。以前「なかにはなにがはいってるの?」サイに聞かれたので「かみさまがいるんだよ」と答えたら「え、この中に?」と不思議そうにしていた。

子ども達は使命のように今日も鳥居に寄った。その後ろで日が沈んでいくのが見える。こんなに毎日欠かさずお参りしていても、いつか彼らはすっかり忘れてしまうだろう。この光景がとても美しくて、写真に収めたいと思うがそれも違う気がして私は目によく焼きつける。けらけら楽しそうな彼らの姿を私は何十年後か年老いたときに思い出すのだろうか。

夕食はカジキのソテー、キャベツ、豆腐、だし巻き卵、それに私はビール、サイはバナナ(ごはん切れ)。
ネットで買った漫画がたくさん届いて嬉しかった。


6月7日(金)
いつくるのかななんて思っていたら雨が降り出し、ついに梅雨入りしたらしい。ドラえもんとしんちゃんを観つつ昨日届いた漫画を読む。翌日のことを何も考えなくていいから金曜日の夜が一番ほっとする。


6月8日(土)
朝からどんよりしていたが雨は降っていない。Sちゃんに会いたいなと思っていたら「今日どうかな?」と連絡が来て嬉しくなる。SちゃんIちゃんと池袋で待ち合わせしてミルキーウェイでお昼ごはんを食べる。Iちゃんは入口から「おほしさま~」と喜んでいた。対するサイは「オレはかわいいものにいちいち反応なんてしないぜ」という風にクールを装っていたが、食べたがって頼んだミルクレープが運ばれてくるとにやにやしてがっついていた。Iちゃんが頼んだイチゴパフェをちょっともらう。甘くて直球の、小さい頃デパートの大食堂で食べたパフェあるいは学生の時に挑戦した巨大パフェと同じ味がした。

ミルキーウェイはガラス張りになっているので席から外の様子がよく見える。たくさんの人が横断歩道を行き交っていた。サイがトミカを持っているのと同じバスが何台も通り過ぎる。カラスが信号に止まっている。食べ終えて暇そうだったサイは窓の外を眺めていた。「カラスが信号の上にいるでしょ」「え、どこ?」「ほらほらあそこ」「あー」と会話をしてもたせるも、Iちゃんとともに次第に落ち着いていられなくなったので店を出た。Sちゃんも私も次はゆっくり来たいなと思ったに違いない。サイはいつかここに女の子を連れて来ることがあるのだろうか。いやサイが大きくなるまでこの店は存続しているのだろうか。などとぼんやり考えていた。

すぐ横のサンリオショップに寄ったのち、サイが仮面ライダーのゲームがしたいと言うので向かいのゲームセンターに入る。ここにはないとわかっていたが納得させるために入った。サイとIちゃんはお金を入れてない状態のマリオカートの運転席に並んで座りひとしきり遊んだあと、太鼓の達人を6回くらいした。サイの好きな仮面ライダーの曲があったので喜んでいた。一年ほど前にやった時は全然できてなかったが、意外に上手に叩けていた。
プリクラの機械が目に入ったので「プリクラ撮りたいかも…」とおずおずSちゃんに言うと「撮ろうよ」と静かに乗ってくれる。サイも「しゃしんとる!」と意外に乗り気だった。プリクラ機の部屋がどうなっているのか、興味深そうにのぞいていた。若い子ばかりいるプリクラ機コーナーで気後れしながら空いている機械にお金を入れて中に入る。記念写真的な簡易的なのをのぞけば、ラクガキできるプリクラなんて十年以上ぶりだ。連写されていくカメラに向かってみなでキャーキャー言いながらそれらしいポーズで撮った。今のプリクラは目が大きくなると知っていたが実際に自分やサイの顔がそうなっているのを見ると大笑いしてしまった。かわいいのか何なのかよくわからない。サイは意気揚々とスタンプでクマ耳など飾り付けしていた。出来上がったプリクラをSちゃんが切り分けてくれた。それを受け取った時、うまく言えないが何とも言えない嬉しさがこみ上げた。このプリクラを誰に見せるわけでもないが、嬉しくてお守りみたいにずっと持ち歩いている。

その後いつもの屋上で子ども達を遊ばせつつSちゃんと並んでお酒を飲んだ。たくさん歩いた後のビールは美味しい。私は今好きな人がいることをSちゃんに話した。いつも異性関係がうまくいかないからどうせまたうまくいかなんじゃないかと不安に思ってることとか。Sちゃんの過去の話も聞いた。高校生みたいにこうやって話せる友達が私にいてよかったなとしみじみした。お酒飲んでるし子どもいるし三十もとっくに過ぎて輝かしい高校生からは程遠いけど、高校生になりたい瞬間が私にもある。ミルキーウェイに行ってプリクラも撮って、楽しい一日だった。

幸福感が後押ししたのか、夜サイが寝たあと、好きな人に初めて電話してみた。かける前は死ぬほど緊張したけど、話し始めたらなんてことはなく、会話のすべてがただただ楽しくて気が付いたら3時間も話していた。


6月9日(日)
好きな人とサイと三人で我が愛するマエケンが出演するステージを観るために長野の富士見高原に行った。と書くと自分でも混乱するほど唐突すぎて意味不明なのだが、事実として朝から長野へ行き、夜に帰って来た。起こった出来事が大きすぎて今はまだ文字にできないのでそれはまたいつか。

少なくとも土曜の夜に勇気を出して電話した時点ではまさか翌日会うとは全く思ってなかったし、長野に行くなんて微塵にも思っていなかった。電話口で行こうかと言われた時は冗談かと思った。夜中に慌てて準備しながら、まだ信じられなかった。朝起きたらホットケーキを焼いて、洗濯して掃除してサイと公園に行ってカレーを作るいつもの日曜日をするつもりだった。人生何が起こるかわからない。私も楽しかったが、私以上にサイが楽しそうだったのが何より嬉しかった。

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翌朝起きて布団の中でぼんやり起こった出来事を振り返ると、もうこれで死ぬのではないかというくらい幸せな経験をしたという実感がじわりじわりと湧いてきて、死ぬかどうかはさておき、とにかく今日からがんばって生きようと強く思った。何もかも夢の中の出来事だったのではないかとさえ思うが、帰りに買ったお土産はちゃんと冷蔵庫にあるし、好きな人のことをもっと好きになった。

しまった、これは育児日記だった。いや育児日記と決まっているわけではないので、別に何を書いてもいいのだが、こんな歳にもなって好きな人が…などとつらつら書いている自分がやや恥ずかしい。公開されている以上、一体何人がこの日記を読んでくれているのか知らないが誰かが読んでくれているかもしれず、もしサイの日々の成長を楽しみに読んでくれている人がいるとしたら、こいつは何を色惚けたことを書いて、と思われるかもしれない。でも、誰かを好きだと思う感情に久々に、いや初めて、真正面から向き合えて(今のところ)肯定できている。私は今、女子高生なのかもしれない。何を言っているのだろうか。いつ死ぬかわからない三十代の会社員で母親だ。

自分みたいな人間が幸せになるのは大罪、という幼少期からべったりついて離れない呪いをいい加減剥がしてしまいたい。べりべり剥がして海に流してしまいたい。幸せがいつから怖くなったのだろうか。